世の中はじゃれ合いでできている

最近、あまりSNSをやらなくなってしまった。Twitterも月に1、2回つぶやくかどうかの頻度になってしまった。

自分の中でどんな心境の変化が起きたのかを探ってみたが、答えは単純だった。

僕は会社で「今日の一言」と題した日報というていのエモい短文を毎日書いているのだが、自分が他人に対してアウトプットしたい内容が、日々の日報で事足りているのだ。

しかも、読んでくれた会社のメンバー達はリアクションをくれたり、「ヒロさんの日報いつも楽しみにしてます」とか言ってくれちゃったりするのだ。

これはとても嬉しいし、次の日も良い内容を書くモチベーションとなる。これだけで僕の発信欲は満たされてしまっている。

何よりも会社の日報であれば、自由に好きなことを好きなだけ書けるし、しょぼい内容でもOK。一言「うんこ」と書くだけでも問題ないし、どれだけスベっても傷つかない。つまり心理的安全性を担保しながら毎日書くことを継続できるのだ。逆に超クローズで低リスクな場なので拡がりもないけど。

世のコミュニケーションプラットフォームの本質は「じゃれ合い」だと思うし、逆に言えば、じゃれ合いに過ぎないのだと感じる。

Twitterのタイムラインを毎日眺めていると、誰かと誰かのじゃれ合いを見せつけられているようにしか見えない。そのじゃれ合いが傍から見ても、単なる「コメント」を超えて、面白いコンテンツへと昇華されている。

人気YouTuberに至っては、ただのじゃれ合いの垂れ流しでしかないと思うし、それがコンテンツとして確立しているし、視聴者もそれが見たいという構図が完成されている。

じゃれ合うことは人間にとって、絶対に欠かせない営みだし、そのじゃれ合う場というのは、ある人にとってはTwitterであったり、インスタであったり、YouTubeであったり、ニンテンドースイッチのゲーム内であったり、LINEであったり、普通に友達の家であったり、会社や居酒屋であったり等々..と、特徴は違えど沢山あるかと思います。

今の僕にとって、メインじゃれ合いプラットフォームが会社の日報なのです。今日も有意義なじゃれ合いを発生させるべく、面白いコンテンツを提供しようと思います。新型コロナが収束してリアルに安心してじゃれ合える日を願って。